前回綴ったブログ話を含めてここ一週間ちょっとの間に3回末廣亭に足を運んだ。前回のブログ話から1日置いて叉行って来た。出演した落語家も全く同じで出しネタも全く同じ。前回でも賞賛した滝川鯉橋1人のみが違う演目を演ってくれた。要は10日ごとに出演者の入れ替えがある事にその日初めて気付いた訳ですよ。そして今日、また末廣亭に足を入れた。そうなのです。これから僕は10日に一度、末廣亭に行く事を決めたのですが、ある事に気づいて躊躇してるのも確かなのだ。それは仕方のない事なのかも知れないが、ホントにじっくり時間をかけて落語を演じてくれるのが最後に出てくる真打ちの主任ぐらいで、時間や出演人数を考えれば前座や二つ目、その他みんな落語というよりも小咄でその場を済ませざるおえないってのがねぇ。いや別にそれがいけねえって訳じゃねえが中には昔からある落語の枕そのものを落語本編にしたり、落語の演目を極端に削って終わらせる致し方ない噺など多々ありそれも技の一つなんだろうけどなんだかねぇ。それを思うと立川流の「ひとり会」や紀伊國屋ホールでの興行などが贅沢な楽しみとして期待感を僕に募らせるんですよ。今日見てて感じたのが、何かこれってボクシングに共通するなぁ〜と思った。世界戦とまでは言わないが日本タイトル戦にしても12Rや10Rとじっくりと見ていたいのが実は僕の本音である。12Rの間にはさまざまなやりとりがあり数多くの「凄み」を堪能出来るのと違い4回戦ボーイはたった12分間の間に勝負をつけなくてはいけない為、ボクシングの醍醐味を見る事が出来ない。ただの喧嘩ボクシングと一緒だ。落語にしても落語の醍醐味を味わうにはそれなりの時間といったものが必要なのは落語好きであれば誰もが知るものと勝手に断言しちゃうが、もしかしたら短い時間内で落語を楽しむ術が僕には欠けているのか、若しくは落語そのものに僕がまだまだ浅はかなだけなのか、と1人考えてしまう。だいたい立川談志のDVDの見過ぎで家元の「ひとり会」と末廣亭の落語といった比較出来ないものを比較して見ていた事に、はなから気付いていたにも関わらずこのザマだ。だったら四の五と言わずに演目発表済みの紀伊國屋ホールや鈴本にまずは足を運べばいいではないか。うん。そうしよう。でも末廣亭って何故か落ち着くんですよ〜ってそこしか行ってないくせによく言うよ。でもあの畳は魅力的
畳で見れる寄席は末廣亭だけだそうで。何だこのブログは一体
畳で見れる寄席は末廣亭だけだそうで。何だこのブログは一体
っと江戸っ子らしいさばさばとした口調で教えてくれた。鈴本演芸場に行くと柳家権太噺、爆笑十夜なる興行がなされていたが3300円はちょいと高い。しかし演目は日替わりで7日の今日は僕のだッだッだッ大好きな「船徳」であった。散々迷った挙げ句、何故か僕は新宿末広亭に直行し今日出演する噺家の掲示板に目を通す事もなく何も見ずしてお金だけを払い、ずんずんと受付嬢に誘導されるがままに中にずんずんと…もういいって。初めてマス席に座って落語を見た。この時初めて落語を見て聞くのはマス席に限る。と思った。窮屈で限られた姿勢が強いられる椅子に座って見るのとは大違い